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諫早

諫早湾干拓は昭和27年に稲作農地を確保するため湾全体を締め切り巨大な干拓地を作る計画から始まりました。
その後、予算の抑制や減反政策、環境への配慮によって規模を1/3に縮小して
1989年「諫早湾干拓事業」が着工しました。
1997年にギロチンと呼ばれる鋼板で閉め切り、干潟部分672ヘクタールを農地にして2007年に完成しました。
水門の閉め切り後の2000年冬から翌年春にかけて、日本一の生産量を誇るノリが大凶作となり、
その後は開門をめぐって沿岸漁民と干拓地の農民らの対立が続いています。

雲仙多良シーライン。堤防の高い方が海側、低い方が干拓側です。

諫早に向かう途中の多比良にて
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界文化遺産の構成資産の一つ原城跡の道案内が見えました。