16世紀後半、現在の笹川集落は、月に砂金18枚(約2.9kg)を税として納めたことから、 「笹川十八枚村」と呼ばれ、大変な賑わいを見せたといわれています。 その後、次第に産出量が減少し、明治5年(1872)には閉山となりました。 砂金採りを行っていた人々は生活の手段を農業に変え、末裔たちが現在もこの地に住み続けています。 虎丸山(とらまるやま)では砂金を採るために掘り崩された山の斜面が赤色の山肌をあらわにしています。 |
大山祗神社(おおやまずみじんじゃ) | 笹川集落 |
笹川集落の金子勘三郎家 |
笹川集落 | 虎丸山 |