(ウィキペディアによる) 古くはこの地を麻績の里(おみのさと)と呼んだ。推古天皇10年(602年)にこの地の住人本多(本田)善光が、 難波の堀江(現在の大阪市)で一光三尊(善光寺如来)の本尊を見つけて持ち帰り、 麻績の里の自宅の臼の上に安置したところ、臼が燦然と光を放ったことからここを「坐光寺」としたとされる。 |
その後、皇極天皇元年(642年)、勅命により本尊は芋井の里(現在の長野県長野市)へ遷座され、 この寺が善光の名をとって善光寺と名付けられたことから、坐光寺は元善光寺と呼ばれるようになった。 遷座された本尊の代わりに勅命によって木彫りの本尊が残され、また「毎月半ば十五日間は必ずこの故里(飯田)に 帰りきて衆生を化益せん」という仏勅(お告げ)が残されたことで、 「善光寺と元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣り」といわれている。 |